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「 大船渡の海は青い夏だった 」


午後にさしかかかると湾から吹きよせる風が眩しい。
穏やかな波が夏の風を冷やしてくれる。


私は車の窓から腕を出している。動き出すと手のひらの火照りが、海風に晒されて気持ちいい。
制作中のモニュメントの前を横切って、入り江を左に海沿いに出ると、ズイセイさんがクルマをゆっくり加速させた。
朝から仕事をしているケイ子ちゃんと、ロンとウェンディ夫妻をバックミラーに小さく置き去りにしてきた。
開け放した車窓から私の顔に大量の潮風があたった。私は目を細めて風を受けた。目を細めるといっそう風が眩しい。

瑞清さんはハンドルをかたむけながら、遠くに視線を向けて横に居る私に話しかけて来た。
「浅沼さん。大船渡はホントに住みいいんです。夏涼しく、冬もここが岩手で一番暖っかいんですよ。」

思いがけなかった。私は、オオフナト(大船渡)という語感から暑い夏と底冷えのする冬をイメージしていたからだ。彼は私の勝手な誤解をときほぐすように――
「このね。この海があるからなんです。冬が暖かいんですよ。そして夏が過ごしやすいんですよね。」と呟くように続けた。
彼は義父の「熊谷瑞泉」さんと二人、ここ大船渡で日本でもっとも優れた「硯」を作る作家なのだ。
静かに話す彼の口調にあわせて――
私はエンジン音と風の音にかき消されないように、彼に続けた。
「そうですか。冬が暖かいんですか。 ―― それにしても、美しい港町ですよね。後ろの里山も森が深くて緑がキレイです。海と空の青さ、それに森の緑。それぞれの入り江の町。ここは本当に豊かなところなんですね。」
私は会話の途中、この震災での不幸にもどこかに救いを感じていた。豊かな海からの恵み。この美しい地形からもたらす幸。ここの風光がいつも人々の心にあることを感じていた。

(それにしても)――とは、東北を襲った巨大津波のあとがあまりに生々しいからだ。

瑞清さんと私は、ところどころに分別された瓦礫の山を通って彼の知人宅へと向かっていた。風変わりな教授、小野寺さんを訪ねて。

空が澄んで山々が続く。昨夜の祭りはテントとともに跡形もない。それぞれの一日が始まったのだ。

今日は7月16日。震災からすでに一年と5ヶ月が過ぎている。そして東北に二回目の夏が来た。
私は震災後初めて東北を訪れた。支援のために知人達もすでに東北に来ていた。私はこの夏ようやく数日間の予定を組んだ。震災の復興モニュメントの完成に合わせて。

昨夜はその「明日へのラブレター」を囲んでの祭りの夜だった。地域の人とボランティアの方々とで夜更けまで楽しんだ。
震災後、単身大船渡に住みついた彫刻家のミドーさんが、7月15日にモニュメントを完成させるから、皆さん大船渡に集まりましょう。とその日は昨年からの約束の日だった。

この日、札幌や埼玉のふじみ野市、岩手の雫石町からのボランティアの人達が一同に会した。
朝の雨で心配したが、午後には幸いにも雨が上がった。大立の皆さんが手際よく数張りのおおテントを設営してくれた。
天幕を張ると津波のあとの空き地があっという間に祭りの広場になった。どこもかしこも家の基礎だけを残して津波がさらって行った。そのむこうに大立の入り江が大船渡の湾に続いている。穏やかな海が夏の蒼さを映している。

祭りは岩手の伝統舞踊「しし踊り」から賑々しく始まった。続いて札幌からの獅子舞と和太鼓、大道芸、YOSAKOI、雫石の舞踊と次々と出し物が続き人々を沸かした。
さらにはモニュメント「明日へのラブレター」の完成イベントに旭川市からこの日のためにNHKのTVカメラもやってきた!

ところがそのモニュメントときたら土台から少し進んだ程度なのでどうにもTV写りが悪いらしい。完成というには無理がある。ひとごとだがTV撮影がやりづらくてしかたがないのだ。
体だけを見ると、NHKの猛者とゆうべきプロカメラマンの大庭さんは、重い機材を右肩に乗せて苦心惨憺だ。どの現場も肉体が物を言う。

そう、なんと復興のシンボル「明日へのラブレター」は、まだその雄姿の半分にまで満たない見事なる「未完成作品」なのだ!
だからといって祭りに集まってくれた人々は誰も何も言わない。復興のシンボルは「私達の集い」にこそあると正しく了解しているのだ。そうに違いない。
それよりもまだこの作品がどんなモノなのかヨクワカラナイし、創ってるほうも解らなくて一向に構わないと思っている。今は。
そのうち完成したら、喜んで、いやたとえしょうが無く作品を手伝った人さえも(そうゆう人はいないか)、いつかはこの出来事のそれぞれの意味を受け取って、それぞれのメモリーになるに違いないから。

芸術家原田ミドーはその為に独り大船渡にやってきたのだ。
いい出しっぺはここの人「しゅうさん」。歯科技工師の志田秀一氏だ。
この人が津波の直後、こんなになってしまった故郷の、ここから、この海の見える自分の足元から立ち上がろうと、苦しみの中で無謀にも発想したのだった。
エライ方だ。誰と相談すると言うこともなく(奥さんか?)、大いなる独断だ。独断だから自分の土地に事をおこす。自分でおこすから行動は速い。うっかり大勢で相談となると何年先に始まるか分からない。発案も速かった。未曾有の不幸と落胆に負けたく無いのだ。いたるところの瓦礫の中で、モニュメントをやりたくてやりたくて勇気がほと走ったのだ。

ミドー氏はそのことを伝え聞いて直ぐに直感した。
無謀にかけては自分もひけをとらない。一体誰が金を出すのか。ところで自分だったらどおする!と憂いを感じつつ、話を受けては直ぐに瓦礫でごった返す大船渡に乗りこんだ。こっちもエライ。

旅費さえままならない状況のなか、金は無い。無いけどアートの血がたぎって来た。その血があだとなって、家族との関係が悪化しても何のその。自分でも訳が解らないまま二つ返事で腹をキメていた。
そうしてまわりのひとり一人が動き出した。基金が集まってきたのはずーっと後の事だ。彼等、民主主義の盲点から一歩を踏み出したのだ。これがいい!難しい手続きは、いらない。

それから奮闘することみるみる一年が過ぎた。が、完成は未だずーっと先の話だ。

芸術家がのってくるとそも身の丈は考えないもなのだ。
本当に命がけになると「完成」なんかどおでもよくなる!。凄いものをやりたくなる。バルセロナのガウディを思ってほしい。

しかしそうは言ってもこの場合完成させなければならない。とにかくそこは速やかに大人になって。従って作品は少々小ぶりに。と、変更を余儀なくしても―(これは大いなる妥協)、まだまだ大勢の子供達が遊べるくらいの大きさなのだ!

大きい。(限度をわきまえてはいるが)運べ無いほどに大きい!大きいからこそ実にこれは「カタチの無い」というシロモノなのだ。
だったら人々の参加を願いつつ、「でくの坊」のようにやるしか無い。
だから、だれが考えても期日に出来上がる訳がない。そんなこんなの結果、7月15日は堂々の未完成のまま祭りに突入。そして盛大に終えた。

都合のいい事に「祭り」だけがね。一回目のさ!いいと思う、この流れ。

確かに言えることだが――
原田ミドーそしてフラリとやって来たニューヨークの旅人ロック・フォアン、(優しい目をした心根のイイヤツ。彼はフィリピンでブロック積みのバイトをしてきた。)その日の仕事は必ずやり遂げる静岡のケイ子ちゃん、(ご主人は役所の仕事で被災地に、彼女は無為に日々を過ごしてなるものかと、運悪くモニュメント出会った)
そして心強い助っ人のロンとウェンディ夫妻(二人はフロリダから被災支援にやってきた宣教師だ)。それに近所の子供達のその日の気まぐれからなる、にわか仕込みのプロジェクトチーム。
仕事として何とかはかどってはいるが、そこは素人仕事、ようやく馴れたという感じ。しかしこれからは凄い。地元のホンモノの職人達が参加を約束してきた。土木・左官・タイルのキャリアだ。
そんなチームが、驚く事に祭りの翌朝からもう制作を開始していた。それを遠くから見ている私としては、支援に来たなどとはおこがましい。今となっては正直気が退ける。
どこから見ていたか?と言うと、キヨシ(瑞清)さんちの二階の窓からだった。連夜たっぷりと睡眠した後の。
ホントに素晴らしい人達! 私はほんの少しタイルにノリを付けたくらいだ。

祭りの夜――
私は深夜まで続いた宴のあと、瑞清さんのお誘いに甘えて彼の工房に泊め貰った。(前日はミドーさんとロックと三人で秀一さんの家で雑魚寝。実はこれも良く眠れた。久しぶりの寝袋が心地良かった)
ロックは自分の気配を見事なまでに消しさる。気配がないのだ。彼はベトナムの血を受け継ぐコスモポリタンな仏教徒だ。
三人の雑魚寝とはいえ互いに理想的な環境を作る。二人は人生修行が行き届いている。良く眠れた。

さて昨夜の宿坊は、地震と津波にダメージを受けながらもびくともしない父親「瑞泉」さんと建てた工房付きの邸宅だ。津波でインフラが破壊しているので、今は家族全員仮設住宅で暮らしいる。そこから瑞清さんは工房に通っている。その残った広い家に私一人二日間泊めて頂いた。
洗いたてのシーツも枕カバーもキヨシさん夫婦の優しさだ。深い気遣いをいただいた。本当に大船渡では良く寝た。なんだか申し訳無い。

7月16日。祭り明けの静けさが戻った。それぞれの日常が始まったのだ。早朝から何事もなく現場は動いている。

悪いけど私ひとり遅い朝食。秀一さんの仕事場で頂いた。皆さんは仮設に戻って昼食中。
ミドーさんが作ってくれた竹の子の玄米ごはん。これが実に美味!竹の子は裏山から瑞清さんが鹿に喰われる前に採取。玄米はニューヨーク育ちのロック青年の好み。私はこの組み合わせをホントは選ば無い。昔ならちょっと気取って玄米を、なんてのもあったけどこの頃は粥がいい。
ロックはニューヨークカーだからね。らしいんだ。ある意味ニュースタイルか。
あっ、そんな事より何より、作ったミドーさんに感謝だ。いやいやそれにも増して秀一さんには感動だ。私達をすべて受け入れてくれる大らかさに!

起きがけの空きっ腹に身支度もそこそこ竹の子めしを詰め込んだ。ここの竹の子がまた素晴らしい。孟宗竹では無くうんと細め。味が濃くて歯ごたえがいい。しゃきしゃきだ。玄米とあわせて口中でモグモグしていると秀一さんの作業場が目に入った。ギョッとした。なんと入れ歯の山だ。
良く噛む事にしたよ、ロック。玄米が正解しい。旨いな。

今は瑞清さんと二人で小野寺教授宅へとむかっている。キヨシ(瑞清)さんがギターを持って出掛けましょうと、誘ってくれたのだ。
今、私とキヨシさんは大立の入り江を出て大船渡の町に向かう車のなかにいる。私は人々の人情、優しさ、この自然の限りない豊かさを感じていた。

ほんのりと汐の匂いがする。この日の風は眩しい。大船渡の湾の上空で夏空をかき混ぜている。何処までも澄んでいる。窓から出した腕に風があたって涼しい。湾に青い夏が来ている。

――とりあえず続きは後日――


2012年 7月22日
浅沼 修

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